大判例

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札幌高等裁判所 昭和40年(ネ)106号 判決

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の事実上、法律上の主張ならびに証拠の関係は、控訴代理人において「被控訴人は訴外宮川駒夫に一定の代理権を与えて実印を預けていたのであつて、宮川が被控訴人の実印を無断で持ち出して使用したとか、何らの代理権なくして単に実印を保管していたとかいうものではない。控訴人はさきに主張した諸般の事情から宮川が代理権を有することにつき疑いをさしはさまなかつたのであり、むしろ被控訴人において実印および権利証を預け放しにしていたことに重大な過失が存する。控訴人が金融業者であることによつても、このような場合に一々本人の意思を確かめる必要のないことは、取引の安全を目的とする表見代理の制度からしても当然である。」と述べ、当審証人宮川駒夫の証言(第一、二回)および当審における控訴人代表者筒井正則尋問の結果を援用し、被控訴代理人において当審における被控訴本人尋問(第一、二回)の結果を援用したほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

旭川市神居町雨紛九九番の一一五宅地七〇坪(本件土地)が被控訴人の所有であること、右土地につき旭川地方法務局昭和三八年九月三〇日受付第二三七五二号をもつて控訴人を根抵当権者、被控訴人を債務者、右同日金融取引契約についての根抵当権設定契約を登記原因とし、債権元本極度額金五〇万円とする根抵当権の設定登記、ならびに同法務局前同日受付第二三七五三号をもつて控訴人のため、同年九月三〇日停止条件付代物弁済契約を登記原因として、前記金融取引による債務金五〇万円を完済しないときは所有権が移転する旨の所有権移転の仮登記がなされていることは、いずれも当事者間に争いがない。

しかして成立に争いのない甲第一号証、同乙第二、第三号証、その方式ならびに趣旨により旭川市長が職務上作成した印鑑証明書であることが認められる乙第六号証、原審証人宮川駒夫の証言により成立の真正を認め得る甲第二号証、原審ならびに当審(第一、二回)証人宮川駒夫の証言、原審ならびに当審における控訴人代表者筒井正則および被控訴本人各尋問(当審においては第一、二回)の結果に、乙第三、第五、第八号証の存在ならびに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。

(一)  被控訴人は旭川市内の相川病院に炊事婦として勤務している者であるところ、昭和三〇年頃自己の同僚畑谷ヒサの従兄弟である訴外宮川駒夫に嫁を世話してやつた関係で宮川と親しくなり、昭和三一、二年頃水道配管の仕事をしていた宮川にすすめられて本件土地の訴外高野某から買い受けることとしたが、その売買契約は宮川が被控訴人の代理人として締結し、被控訴人の印章を預かつて売買契約書を作成したし、手付金五万円も宮川が被控訴人から預かつてこれを高野に交付した。なお本件土地は土地区画整理中の土地であり、当時の地目が畑となつていたため、直ちに所有権移転登記を受けることができなかつた。

(二)  更に被控訴人は昭和三六年初め頃本件土地上に居宅を建築することを計画し宮川に相談したが、被控訴人としては当時一〇万円位しか手持資金がなかつたので他から金を借りてでも総額五、六十万円の家を建てたいということであつた。その頃宮川は衣料品の販売を営んでいて業績も順調であつたので、前に世話になつた被控訴人のことであるから、他からの借受金の金利位は自分で負担するつもりで協力することとし、とりあえず資金を調達するため、従来からしばしば自己の営業資金を借り受けていた金融業者相田利治から金二〇万円を借り受け、これを旭川信用金庫に預金し、この預金を担保として同金庫から金四〇万円を、宮川が借主、被控訴人が連帯保証人となつて借り受けることとした。そして宮川は被控訴人に対しては信用金庫から金を借りることになつたと告げたのみで詳細の説明はしなかつたが、被控訴人は右借受けならびに借入金の返済に関する一切の行為を宮川に委任する趣旨で実印を預けたので、宮川はこれらの手続中被控訴人に関する部分を代行し、被控訴人のために借り受けた金員は自己において保管した。

(三)  更に被控訴人は建物の設計、施工、大工の依頼、建築許可申請の手続等一切を宮川に委せたので、宮川は知人に設計を依頼し、大工も知合いの大工を手間賃で傭い、建築資材の購入にはみずからが当つて建築に着手し、昭和三六年二月一八日宮川が建築主として建築確認を受け、工事を進めた結果、同年五月頃建物が完成した。その間の建築費は旭川信用金庫から借り受けた金四〇万円と被控訴人の当初の所持金をもつて宮川が支弁した。

(四)  建物が完成したのち被控訴人は右建物を他に賃貸して賃料を収受し借入金の返済に当てる趣旨でその賃貸を宮川に委せたので、宮川は自己の知人中野忠太郎に右建物を賃貸し賃料一カ月金五〇〇〇円を収受したが、中野が退去したのち昭和三七年頃控訴人代表者筒井正則の兄である筒井隆則に右建物を賃貸した。なお宮川は被控訴人に対しては旭川信用金庫からの借受元利金のみを支払えばよいということにしていたので、右賃料のほか被控訴人は余裕のある都度、相当額の金員を宮川のところに持参して預託し、昭和三七年春頃までに右預託金額は所要額に達したが、その頃宮川は自己の営業が不振で金繰りに追われていたため旭川信用金庫からの借入元利金を完済することができなかつた。

(五)  そして宮川はようやく昭和三七年一二月頃旭川信用金庫からの前記借受金の元利金全額を返済したが、右返済のための資金繰りの必要からその頃前記筒井隆則の紹介で金融業者たる控訴人から金一〇万円位を借り受け、更に昭和三八年三月頃金一〇余万円の貸増しを求めた。宮川は被控訴人から預かつていた同人の実印を使用し同年三月一四日被控訴人のために本件土地につき所有権移転登記の申請をなし、その登記済権利証の交付を受けて所持していたので、この登記済権利証と被控訴人の実印を控訴人に示し、本件土地は自分が世話して買つてやつたものであり、本件土地上に建築した建物も自分が委されて建ててやり、その資金も自分が借りてやつたものであるが、そのために自分の商売が行きづまつたので、その借受金を返済するための資金が入要であり、本件土地に抵当権を設定して金融を受けることも被控訴人から許諾されているし、右土地上の建物を管理することも自分が一切委されていると述べた。控訴人代表者筒井正則は現に右家屋を自己の兄が賃借している実情を知つており、宮川が本件土地の登記済権利証と被控訴人の実印を所持しているほか、本件土地の所有権移転登記が遅れて困つていた宮川に代書を紹介して登記手続を促進してやつた関係もあるところから、宮川がその旨の代理権を有するものと信じ、宮川とともに代書のところに行き根抵当権設定契約書および停止条件付代物弁済契約書と登記申請のための被控訴人の委任状を作成して貰つたが、宮川が必ず五月末までに返済するから登記はしないでくれというので右契約書等の日付欄は空白にしておき、被控訴人の印鑑証明書とともに前記登記済権利証を預かつただけで登記申請手続はせず、宮川にその申込みどおりの金員を貸し渡した。

(六)  しかるところ宮川が右借受金を返済しないので、控訴人は昭和三八年九月三〇日前記各書類の日付を同日付と補充し、同日被控訴人の印鑑証明書を新たに旭川市役所から交付を受けたうえ、冒頭記載のとおりの根抵当権設定登記および所有権移転の仮登記を申請しその旨の登記を受けた。

以上の各事実が認められるところ、原審証人宮川駒夫の証言により成立の真正を認め得る乙第一号証には右認定に反する記載部分があるが、この部分は当審証人宮川駒夫の証言(第一、二回)に照らして採用できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上認定の各事実によれば、宮川が本件土地に根抵当権を設定し、かつ停止条件付代物弁済契約を締結して控訴人から金員を借り受けるについて、たとえその借受金の使途が本件土地上の建物の建築資金返済に関連する資金繰りのためであるとしても、宮川は信用金庫からその資金を借り受けるについての代理権を付与されていたのみであり、しかもその借受元利金返済に必要な金額をすでに被控訴人から預託されていたのであるから、前認定のような操作で金融業者から資金を借り入れることについての代理権を与えられていたものと認めることはできず、その他宮川が被控訴人の代理人として控訴人との間に右各契約を締結するにつき代理権を授与されていたとの点についてはこれを認めるに足りる証拠は存在しない(控訴人の右主張に副う如き乙第一号証の記載が信用できないことは前判示のとおりである。)。

しかしながら、控訴人の主張するとおり、宮川は旭川信用金庫との間に被控訴人の代理人として連帯保証契約をなし、実質上被控訴人のために貸付けを受けるにつき代理権を付与されていたのであり、その代理権の範囲はその返済に関する一切の行為に及ぶものというべきところ、宮川が被控訴人の代理人として控訴人との間に締結した前認定の各契約は、その代理権の範囲を越えてなされたことに帰する。しかして右の基本たる代理権は昭和三七年一二月頃旭川信用金庫に元利金全額の返済がなされたときに消滅したものというべきであるが、宮川を被控訴人の代理人として前記各契約を締結した控訴人の代表者筒井正則が当時宮川の右代理権消滅を知り、もしくはこれを知らなかつたことについて過失のあつたことはこれを認めるに足りる証拠がない。

一般に本人が他人に自己の実印を交付し、これを使用して或る私法上の行為をなすべき権限を与えた場合に、その他人が代理人として権限外の行為をしたとき、取引の相手方である第三者は実印を託された代理人にその取引をする代理権があつたものと信ずるのは当然であり、特別の事情のない限り、かく信ずるについて過失があつたものとすることはできない。本件において控訴人が宮川から、五月末までに必ず返済するから登記をしないでくれ、と頼まれたことも、登記済権利証と委任状、印鑑証明書を交付して何時でも所要の登記申請のできるようにしたまま登記申請の手続をなさずに担保の目的を達することは世上往々に存するところであるし、また控訴人が金融業者であることによつても、前記認定のような事実関係のもとにおいて宮川に代理権があると信じたことはむしろ当然であつて、このような場合本人たる被控訴人に問い合わせて宮川の代理権の有無を確かめるべき注意義務があるとすることは相当でない。すなわち本件にあつては控訴人が宮川に被控訴人を代理する権限があつたと信ずるにつき正当の理由があつたものというべきである。

そうすると宮川のなした前記各契約は本人である被控訴人に対して効力を生ずるものであり、前記各登記は権利の実体と符合する有効な登記といわなければならないから、控訴人に対しその抹消登記手続を求める被控訴人の本訴請求は失当である。すなわち本件控訴は理由があるから、原判決を取り消し被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

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